旅行中日 ~祈りの地へ~
2021年10月27日 流星の彼方(回想録)
旭川駅に戻ってから一旦お昼を食べ、一休みしてからいよいよ永山中央公園にへ。ここからもバス。文春オンラインの記事であえてバス1本では行けない場所に引っ越したということを自分も身を持って体験したかったということもあってバスにしたけど確かにそれはわかるような気がしました。乗り継ぎが悪いと結構時間がかかる。
バスに乗り永山という名前が出始めるとサロベツの時以上にドンドン胸が高鳴っていく。似たような名前のバス停が続くのもそれに拍車をかけているような。バスを降りていきなり聞こえてきたのは当時は候補者、今で言う今津新市長の街宣車から流れる声。この場所についていきなりというのはなにかの暗示かもしれない。さすがにドキドキが止まらないしまずは気分を落ち着けるためにも周囲を歩いて1周。そして覚悟を決めていよいよ中に入る。はっきり言えば単に広い公園で色々な年代の人がそれぞれの過ごし方を知ている。午前中のウッペツ川の時以上にこんな場所でこんな悲劇が起きたのなんて信じられないくらいの日常が繰り広げられている。
いったい爽彩さんは家を飛び出てから何を感じ、何に絶望しどうやってこの場所に辿り着きどんな光景を見ながら永遠の眠りについたのだろうか?公園の入口に入ってまずは、爽彩さんが発見されたという場所で小さく手を合わせ、いよいよ献花台となっている丘へ。この丘も子どもたちが遊ぶ場所。その場所の一角に献花場所があってネットで見た爽彩さんの誕生日の時よりもさらに多くの花が供えられている。これは、一部の人からの動画などで旭川は~という発言があったけどぜんぜん違う。自分みたいに遠方から献花に来る人はいるかもしれないけどこれだけの数の花が絶えること無く供えられているというのはそれだけ地元、旭川の人が暖かい気持ちでいる証。死んだら次の日にはみんな自分のこと忘れていると言っていけどそれは間違いだったということに天国から見守っていて気がついていて欲しい。
自分と事情があって行かれない人から預かった気持ちとともに献花してきました。安らかな眠りにつくことと、もうこの場所がこんな悲劇が起きないようにそして、儚い願いかもしれないけどこれが最後のいじめの犠牲者であることを願って。
丘から降りて近くのベンチに腰掛けてから「長い放課後」を聞き、日が沈みはじめ子どもたちが減ってきたのを確かめて再び丘の上に。そして日が傾いてきたしここで撮影。これは内心行く前から考えてきた構図なんだけど。やっぱり撮影していて何かこみ上げてきた。こうしてこの場所に来て祈りを捧げたからにはできることはやっていきたい。あの頃に経験してきたことがもはや過去の遺物として不要になるまで、そして自分が納得するまで。
今回の旅の一番の目的地にきて祈りを捧げられてやっと4月からいつかやらなければと思っていたことが実行できた。でも一度来たら終わりではない。またここには着たい。決して風化させないためにも。
バスに乗り永山という名前が出始めるとサロベツの時以上にドンドン胸が高鳴っていく。似たような名前のバス停が続くのもそれに拍車をかけているような。バスを降りていきなり聞こえてきたのは当時は候補者、今で言う今津新市長の街宣車から流れる声。この場所についていきなりというのはなにかの暗示かもしれない。さすがにドキドキが止まらないしまずは気分を落ち着けるためにも周囲を歩いて1周。そして覚悟を決めていよいよ中に入る。はっきり言えば単に広い公園で色々な年代の人がそれぞれの過ごし方を知ている。午前中のウッペツ川の時以上にこんな場所でこんな悲劇が起きたのなんて信じられないくらいの日常が繰り広げられている。
いったい爽彩さんは家を飛び出てから何を感じ、何に絶望しどうやってこの場所に辿り着きどんな光景を見ながら永遠の眠りについたのだろうか?公園の入口に入ってまずは、爽彩さんが発見されたという場所で小さく手を合わせ、いよいよ献花台となっている丘へ。この丘も子どもたちが遊ぶ場所。その場所の一角に献花場所があってネットで見た爽彩さんの誕生日の時よりもさらに多くの花が供えられている。これは、一部の人からの動画などで旭川は~という発言があったけどぜんぜん違う。自分みたいに遠方から献花に来る人はいるかもしれないけどこれだけの数の花が絶えること無く供えられているというのはそれだけ地元、旭川の人が暖かい気持ちでいる証。死んだら次の日にはみんな自分のこと忘れていると言っていけどそれは間違いだったということに天国から見守っていて気がついていて欲しい。
自分と事情があって行かれない人から預かった気持ちとともに献花してきました。安らかな眠りにつくことと、もうこの場所がこんな悲劇が起きないようにそして、儚い願いかもしれないけどこれが最後のいじめの犠牲者であることを願って。
丘から降りて近くのベンチに腰掛けてから「長い放課後」を聞き、日が沈みはじめ子どもたちが減ってきたのを確かめて再び丘の上に。そして日が傾いてきたしここで撮影。これは内心行く前から考えてきた構図なんだけど。やっぱり撮影していて何かこみ上げてきた。こうしてこの場所に来て祈りを捧げたからにはできることはやっていきたい。あの頃に経験してきたことがもはや過去の遺物として不要になるまで、そして自分が納得するまで。
今回の旅の一番の目的地にきて祈りを捧げられてやっと4月からいつかやらなければと思っていたことが実行できた。でも一度来たら終わりではない。またここには着たい。決して風化させないためにも。
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