計画的不登校 ~一線を超えてしまった時~
2021年6月21日 流星の彼方(回想録)
今日はクリニックに行って薬の調整。といっても単に増量して終わりなんだけど。これでほぼ大丈夫かな?
さてとここからは回想録に入るけど高3の受験が近づいてきた12月あたりから実は不登校になっていました。これも日記に具体的な記述が無いとかもう何で肝心なことを書かないか当時の流星を小一時間問い詰め(ry。
一応、高3になって進路を決める三者面談の時がきっかけに過去にいじめがあったこと(でもさすがに思い詰めていたことは話せなかったけど)、学校で周りになじめていないことを親に話していて無理に学校に行かなくてもいいということで学期末の球技大会とか文化祭は休んでも文句言われなかった。もう卒業さえすればいいということで11月までは行事以外はしっかり出席日数を稼いで卒業試験?2学期の期末試験あたりからは学校にあまり行かない不登校状態に突入。自分の場合は他の不登校をしている・せざる得ない人からすれば申し訳ないけど卒業できるだけの日数を出席した上で意図的にやっている計画的不登校で本来の形とは違う。確かに学校に行かないと気分的に楽だし、受験勉強も予備校とそれに付随する時間以外は自由に使えるのは大きい。でも不登校の人の気分というのはわからないんだよね。学校に行けなかったわけでもないから。
さすがにあまりに休むから学校から電話がかかってきたけど親が出てくれて受験をする上で学校が負担になるということで休んでいるのと本人が自己管理しているから任せていると言ってくれたのはすごく助かった。おかげで学校からの電話は1度だけ。親公認ならもう学校も手の打ちようが無かったな。
といっても、完全に不登校だったわけではなくて週に1・2日は出たい授業とかあったから行っていたけどさすがにその時に担任の先生には怒られた。でも何で学校に来いというのだろう?必要な出席日数も満たしたし試験も赤点は取っていない、当時の自分の不安定さからすればわずかなことで悪影響が出てしまう。結局こっちも一歩も引かなかったから話は平行線で先生は大学に入ってからも就職活動で同じことするだろと言っていたけどさすがにそれはなかったな。だって学校を捨てるのは高3の1年間だけにすると誓っていたから。ちなみに大学時代に一度だけ学校に当時と同じように自転車で行って先生に会って謝ったのと今は大学を楽しんでいるということは話しました。あの怒られた後もこっちが悪いなんて全く思ってないから反省するわけもなく休みがちだったのは変わらず。
ということで、高2の皆勤賞とは違って高3は確実に小学校~高校で一番欠席日数が多いはず。確かに学校の負担がない分気持ち的にも楽だったし学校に行かない選択はありかもしれない。というか、中学だと1クラスに1人以上は学校に来ない現状というのは問題。これこそ本腰を入れて対応しないといけないことじゃないの?もう何十年も放置しているけど。
今日の1枚は受験生だった96年に気分転換かな?で平和島で撮影した2000形。これが一番乗っていて落ち着く車だったな。特にコンディションの悪い日の帰りに上大岡から無料開放のwing号に乗ってシートに座ったときの安堵感。横須賀に着くまでが癒やしのの一時だった。
さてとここからは回想録に入るけど高3の受験が近づいてきた12月あたりから実は不登校になっていました。これも日記に具体的な記述が無いとかもう何で肝心なことを書かないか当時の流星を小一時間問い詰め(ry。
一応、高3になって進路を決める三者面談の時がきっかけに過去にいじめがあったこと(でもさすがに思い詰めていたことは話せなかったけど)、学校で周りになじめていないことを親に話していて無理に学校に行かなくてもいいということで学期末の球技大会とか文化祭は休んでも文句言われなかった。もう卒業さえすればいいということで11月までは行事以外はしっかり出席日数を稼いで卒業試験?2学期の期末試験あたりからは学校にあまり行かない不登校状態に突入。自分の場合は他の不登校をしている・せざる得ない人からすれば申し訳ないけど卒業できるだけの日数を出席した上で意図的にやっている計画的不登校で本来の形とは違う。確かに学校に行かないと気分的に楽だし、受験勉強も予備校とそれに付随する時間以外は自由に使えるのは大きい。でも不登校の人の気分というのはわからないんだよね。学校に行けなかったわけでもないから。
さすがにあまりに休むから学校から電話がかかってきたけど親が出てくれて受験をする上で学校が負担になるということで休んでいるのと本人が自己管理しているから任せていると言ってくれたのはすごく助かった。おかげで学校からの電話は1度だけ。親公認ならもう学校も手の打ちようが無かったな。
といっても、完全に不登校だったわけではなくて週に1・2日は出たい授業とかあったから行っていたけどさすがにその時に担任の先生には怒られた。でも何で学校に来いというのだろう?必要な出席日数も満たしたし試験も赤点は取っていない、当時の自分の不安定さからすればわずかなことで悪影響が出てしまう。結局こっちも一歩も引かなかったから話は平行線で先生は大学に入ってからも就職活動で同じことするだろと言っていたけどさすがにそれはなかったな。だって学校を捨てるのは高3の1年間だけにすると誓っていたから。ちなみに大学時代に一度だけ学校に当時と同じように自転車で行って先生に会って謝ったのと今は大学を楽しんでいるということは話しました。あの怒られた後もこっちが悪いなんて全く思ってないから反省するわけもなく休みがちだったのは変わらず。
ということで、高2の皆勤賞とは違って高3は確実に小学校~高校で一番欠席日数が多いはず。確かに学校の負担がない分気持ち的にも楽だったし学校に行かない選択はありかもしれない。というか、中学だと1クラスに1人以上は学校に来ない現状というのは問題。これこそ本腰を入れて対応しないといけないことじゃないの?もう何十年も放置しているけど。
今日の1枚は受験生だった96年に気分転換かな?で平和島で撮影した2000形。これが一番乗っていて落ち着く車だったな。特にコンディションの悪い日の帰りに上大岡から無料開放のwing号に乗ってシートに座ったときの安堵感。横須賀に着くまでが癒やしのの一時だった。
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