大学受験に全てを賭けていたわけ
今回は全てを賭けてでも大学受験を続けた理由。後になって考えればとてもじゃないが大学受験を続けられる精神状態でもないというかストレスないし負荷に耐えられないと2年の時にもう悟っていたけどそれでも大学受験を諦めなかった理由。今回はそんなお話です。

高2の後半以降、本当に色々と将来に向けてぼんやり考えていたけどその頃に最初に考えていたのは教師になること。自分の経験があればきっと生徒たちのために役に立てるそう思っていたな。この夢は大学に入って塾講師のバイトを一時期やって小さい形だけど叶えることができた。大学でも2年制は教職課程の授業も受けていたけど、教員免許は出身の大学の学部に依存するから中学社会科と高校公民の組み合わせで一番免許を持っている人が多くて一番競争が激しいというのと、バイトでの適正とかトラウマの影響で無理だと思って3年の時に諦めた。でも後悔はしていない。とりあえず小さい形だけどやってみたりした上で決めたことだから。

そしてもう一つは、学生生活をやり直したかったから。高3年になって学校を捨ててからはもうこの3年間は将来に渡って暗い影にしかならないし、大学に入るための役割しかないと考えていた。だからこそ大学の4年間は全てをやり直して学生生活を終わりにしたかった。この頃は大学生にすごく憧れていたな。今の狭い教室に閉じ込められて、いつも同じ顔ぶれと一緒で制服に始まって規則で色々と縛られて(ささやかな反抗としてネクタイと校章は学校の外ではよく外していたな)、大学にはそんなこと全くなくて好きな格好で10人いれば10通りの考え方は当たり前。規則も当たり前のことくらいしか無い自由がある。それに親も半ば捨てセリフのように大学に行かないなら働けと言っていたけどその当時なんて高卒でやりたい仕事なんて何も考えていなかったし。一言で言えば閉塞感。そんな感じを打破して大学受験を続けて現役合格を勝ち取ることが唯一未来への突破口だと思っていた。だからこそ、全てを賭けていた。だからとてもじゃないが失敗した時のシナリオも考えたけどあまりに絶望的な答えしか見つからなくて途中で考えるのやめてしまったな。

全てを賭けてでもやり直したいし夢を追い求めたい。その気持ちがあったからこそ次の4年間を手にすることができた。そういう意味でも高校の3年間は一応成功で幕を閉じることができたのは自分に対してのせめてもの慰め。

今日の一枚はこれは鉄な理由で現役合格が欲しかった理由で碓氷峠のEF63。なにしろ受験が終わった97年の10月には今の北陸新幹線が長野まで開通して廃止になることが決まっていたから現役合格しなければ最後の夏を撮影することも乗ることもできなかった。友だちからもらった碓氷峠の写真は机に目標の一つとして挟んでいたな。


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