満員電車は20分まで ~ヘッドホンは命綱~
今回から時系列ごとに書くのをやめてエピソードごとに書くか。

いつからかわからない(というか、他にも後に読み返した時の事を考えて肝心なことなのに日記に書かない当時の流星を鉄製のハリセンで叩いてやりたい)けど、高校時代から2003年に正式にパニック障害ないしそれに近い症状と診断されて薬を飲むようになるまで満員電車は20分が限界だった。

それ以上乗ると胸のあたりから苦しさを感じて息苦しくなるし気持ち悪くなる。いつからかわからないけど、例えば19時台頭の横浜駅だと H特急-急行-普通-wing号の通過-H特急-急行-普通-A快特 の20分サイクルだったと思ったけど、予備校が1時間しかない時は早く終わってwing号の前のH特急と急行は乗って上大岡から運が良ければ着席で楽できたけどwing号の後のH特急は数えるほどしか乗ってない記憶が。京急久里浜には数分早く着くH特急ではなくて友人といつも12連のA快特。たぶんWing号の後は積み残しも出るほどで20分だと文庫に着くかもしれないが乗らなかったというより乗れなかった。

さらに遅い時間だと急行-普通-Wing号の通過-H特急-急行-普通-A快特だと思ったけど、この時もWing号の前の急行に乗れればいいけどそうでないなら12連のA快特まで待っていた。もっと状態が悪い日には家につくのが遅くなってもA快特かその前の普通に乗ってから上大岡でWing号を待ったこともあった。

それくらい苦手というかパニック発作を起こしてしまいそうで避けていた。とにかく周りの人と密着するほどの混雑がダメで。それは就職してクリニックに通うまでは同じ。

朝は遠距離通勤なのと久里浜始発を使って何とか着席できていたけど、大学にしても座れない時はもう大変で品川まで行くなら文庫で増結車で確実に座れるまで待ってみたり横浜まででもドア前をキープするか増結車に逃げて一旦時間をリセットして上大岡~横浜までは何とかがんばったり。着席さえしていればといっても日によってはそれすら厳しい時もあったりで。あと高校時代は八景でD急行に乗ると座れるからと愛用していたこともあったな。

大学に入ってからも横浜から京急に乗っていた時も、やっぱり昼間のサイクルから夜のサイクルになる間、特急しかない上にその特急が結構混む。結局バイトで時間が無い時は乗ったけどそうでない時はヨドバシとかゲーセンで時間を潰してから12連快特が走るようになってから乗っていた。

ただ20分制限は何も無しの話で、ヘッドホンから音楽を流していると伸ばせる。だからクリニックに通う前はヘッドホンは命綱とばかりに満員電車になりそうな時は欠かせなかったし予備バッテリーも常に持っていた。会社に入ってからの通勤で都営線の日本橋乗り換えをやっていた時も帰りは座れないと家につくのが遅くなっても品川でA快特待ちしたりWing号に乗り換えたな。あとお酒が入っている時はノーカウントだけどそうでない時の三浦海岸終とかよく耐えられたな。たぶん音楽を聞いていただろうけど。逆に、日記にヘッドホンを忘れた時はきつかった書いてあったり予備のバッテリーも切れて大変だったというのもあったな。

首都圏では比較的混雑が緩い京急だったということと、鉄の知識を使って混雑列車を回避したりなにより朝は文庫で増結することに助けられた部分はあったな。ただこれが東西線とか田園都市線沿線だったら逆に、途中で降りて休憩しないととか具合悪くなってもっと早くパニック障害の疑いがということで病院に行っていたかもしれない。

今日の写真はそんな12連の列車のなかで合計48扉でラッシュを捌いていた700形のみの通勤快特11Bの折返し回送。

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