かなりの日数分の枠を使って故・宮脇俊三さんの最長片道切符の旅を今のダイヤで再現してきたけどやってみて疲れた反面楽しかった。

ただ、前半部は乗り継ぎの合間とか接続が悪いところを使っての観光とかの描写があったけどとてもじゃないが40年後はそれどころではない日が大半。

なんでこんなに余裕が無いというか無理な日程になっている部分を考えてみれば、原作よりも遅れている日の要因は様々だけどまずは災害によるバス。そしてバスつながりで言えば路線そのものが廃線になってしまいバス転換、中にはそれすら無くなっていて別ルートの日もある。確かにこの40年、特に北海道・九州は多くの廃線があった。

あとは接続が日程に大きく左右されることも多かったな。極端なのが23日目。新幹線のスピードアップなどもあって米原には原作よりも2時間早く着いたのにその後は乗り継ぎが多い現在とは違い1回だけの乗り継ぎで日程を追えられる40年前は今よりも30分つまり、米原以降で考えれば2時間半も早いということもあったな。さらに18日目は只見線の代行バス区間の接続の悪さに始まりこれが原作と同じ宿泊地まで行けず結果として何と21日目だから、新潟から南紀を通り過ぎ飛騨高山まで影響していく。接続の悪さで言えば19日目の糸魚川での6分差では乗り換えられないというのは会社が違えど悪意さえ感じてしまう。

こうしてみると、新幹線とか一部の在来線は早くなったかもしれないがローカル線同士とかはかえって今のほうが不便になっている。こう考えると国鉄時代のまだまだ都市から地域ではなく地域感の輸送も鉄道それも普通列車も役割を持っていたのは今とは大違い。

急行も現在ではJRの定期急行は全滅した中で40年前にはまだまだ幹線だけではなくて色々な路線しかも複数路線にまたがるようなのも運転されていたし当時も主要幹線には特急はあったけど本数が少ないのか特急がある路線でも急行に乗っていることが多いのも隔世の感を禁じえない。

こう考えると当時と今を比べて見た結果がまさに分割民営化と地域密着・合理化を進めていったなど今の鉄道の光と影に帰結していく。あと10年・20年後に50年後のとか60年後のと調べたときに今よりも日程が楽になっていることを願いたい。

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