120キロ運転前夜
120キロ運転前夜
これは95年の話、当時の京急の目玉といえば120km運転を開始するという話で年が明けてしばらくした2月から習熟運転ということで営業運転の快速特急で実際に120kmを出して走らせるというわけだからこれは先頭部でかぶりつかなかれば意味がないとばかりに撮影の帰りに品川からロングシートでかぶりつき。

当時の京急で120km車と言えば確か1700と600意外に2000形。運転席には増圧ブレーキ装備車両のプレートを誇らしげに鮫洲の制限を抜けた後に速度を上げ平和島の制限115にかかない程度に上げ、さらに川崎を出たあとに120kmに挑む。2000形は設計当初より将来のスピードアップに向けてギア比を低くしてあるため確実に加速していく姿は頼もしいしまだ余裕があるようにも思えてくる。

さらに信号が青と黄色の点滅になると少し速度を落とす(後にフリッカー信号=抑速表示だと知る)、窓から流れる景色は明らかに今までとは違う。子安・新町のカーブとかは本当にこんな速度で曲がれるのか?と思うばかりに豪快なカントで抜けていく。

その後に本番のスピードアップの後にもかぶりついたけどその時は横浜以南も随所でカーブの制限速度の引き上げが行われていて最高速度も上がってこの時が京急の最速時代だと思っている。

2100がデビューした頃までは乗り継ぎとか含めても地元からアキバまで京浜東北の快速がある時間なら電車に乗ってから着くまで昼間なら1時間は画期的だったな。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索