1区間だけのエース 幼年期~小学生の自分より
ここからは、現役を引退する京急2000形への惜別を込めて写真とともに、その当時の自分がどうこの車両に乗っていたかを振り返りることにします。

2000形が登場したのは自分が4歳の時だから幼稚園の頃。覚えているかと言えば不明瞭、何せ700形がちょっと形の違う1000形だったし旧600形もちょっと形の違う1000形。乗るのはいつも1000形という中で表われたその車両は斬新的な形に今までの京急車とはまったく異次元の車内に音それらは何もかも新しかった。

小学生くらいの時の2000形といえば何と言っても横須賀中央へのお出かけの時に乗れる電車。当時の快速特急は久里浜始発で久里浜以南とは特急が接続だから中央へのお出かけのときには久里浜に着くときに2000形が来ればラッキーというより2000形=快速特急の車両という感じになっていたな。

久里浜駅を発車して場内の制限を抜けて加速していったところで一息置いてカーブを抜ければ久里浜工場の当たりを一気に走り抜く。それでも1000形とは違って揺れも少ないし音も静かでグイグイ引っ張っていく。そして速度を落として北久里浜のカーブを勢いよく抜けていく。新大津を通過して堀ノ内に入るときには行きに速度を落として鼻息荒くポイントを渡り本線に入り後ろが抜けたところで加速して京急安浦を通過。そして軽くブレーキを掛けてトンネルに入ると横須賀中央の到着アナウンスが聞こえてくるようになり到着。

この1区間が最初の頃の2000形に乗る数少ない機会だったな。この電車にのってもっと遠くへ行ったときにはもうちょっとした冒険。横浜に来れば京浜東北線とか見られるし川崎にくれば都営や京成の車も来て終点品川には山手線。景色も次々と流れる。その中でも日ノ出町-横浜のカーブの連続はまるでこれがひたすら続くような感じに襲われたり当時は最高速度105kmでもやっぱり横浜以北の高速区間はびゅんびゅん走る。

そういえば、この頃の断片的な記憶で乗っていたのも2000形と1000形の両方なんだけど品川~川崎でなんかジェットコースターのように上って下ってとかすごい場所を走っていたり工事現場のような所を走っていった記憶もあるけどこれは連続立体交差事業中のことなのかな?

中央へお出かけする時に久里浜から乗れるいい電車。それが2000形との最初の出会い?のようなものでした。

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