第三の連絡船 ~摩周丸~
2013年10月14日 鉄道・鉄道模型
最終日はちょっと遅めのスタート。まぁコーヒーのおかわりをじっくりと味わいつつ時間を見計らってチェックアウト。荷物はホテルに預かって貰い摩周丸へ。
気がつけば2011年に現在は解体されてしまって存在しない羊蹄丸に行って以来、年1隻のペースで青函連絡船を見学してこれでラスト。
他の2隻と違ってアスベストの問題などで公開されている区画は少なく車両甲板とか機関室をはじめ船室などが見られないのは惜しまれるが展示内容は決して簡単なものではなく特に歴代連絡船の模型がよくできている。それと長い連絡船の歴史で避けて通れない洞爺丸事故とその後の安全対策の部分はどの連絡船以上に力をいれているが考えてみればこの事故が起きたのも函館港とその周辺になるのだから無理もない。
復元された自動車甲板とか、実物の部品を使って復元された絨毯席を見て多くの人がここに寝ころび津軽海峡を越えたのかと想像し、実物の座席(普通・グリーン)には腰掛けることができて座ってみたけどグリーン座席は当時のグリーン車にライトとフットレストがプラスされてかなり快適、普通座席は列車のように進行方向が変ることがないから向きは固定されていてリクライニングもなく背面の処理の仕方からいってキハ80相当かな?当時としてはこのくらいのレベルで十分だったのかもしれない。
ブリッジとか一通り見学して摩周丸を後に。いよいよ本州に向けて帰るか。
気がつけば2011年に現在は解体されてしまって存在しない羊蹄丸に行って以来、年1隻のペースで青函連絡船を見学してこれでラスト。
他の2隻と違ってアスベストの問題などで公開されている区画は少なく車両甲板とか機関室をはじめ船室などが見られないのは惜しまれるが展示内容は決して簡単なものではなく特に歴代連絡船の模型がよくできている。それと長い連絡船の歴史で避けて通れない洞爺丸事故とその後の安全対策の部分はどの連絡船以上に力をいれているが考えてみればこの事故が起きたのも函館港とその周辺になるのだから無理もない。
復元された自動車甲板とか、実物の部品を使って復元された絨毯席を見て多くの人がここに寝ころび津軽海峡を越えたのかと想像し、実物の座席(普通・グリーン)には腰掛けることができて座ってみたけどグリーン座席は当時のグリーン車にライトとフットレストがプラスされてかなり快適、普通座席は列車のように進行方向が変ることがないから向きは固定されていてリクライニングもなく背面の処理の仕方からいってキハ80相当かな?当時としてはこのくらいのレベルで十分だったのかもしれない。
ブリッジとか一通り見学して摩周丸を後に。いよいよ本州に向けて帰るか。
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