これといって特別忙しいとか負担がかかることが少なく、来週の会議資料も早めに作り上げて上司からはその精度のよさを褒められて、午後になってからはあとは遅れがちな仕事を片付けて、来週の会議の内容を含めた部署内の打ち合わせで今週が終わるけどちょっと疲れたなと思いつつ黙々と仕事をしていたら・・・なんだか揺れてない?
このところ地震が続いていたから最初は揺れている程度に感じたが少したってから揺れが大きくなり女性の悲鳴が聞こえ、そこからは大変。机の物が転げ落ちていくしその机が滑るように動く。これは大地震だと思いとっさに
「窓側の人ガラスに気をつけて」・「キャビネット近くの人、倒れるかもしれないから気をつけて」
と叫んで周りをみれば、お局様が床をかけずり回るかも知れないコピー機を押えているがあんな華奢な体では支えきれないからとっさにそこに向かって自分が押えて変りに逃げるように言ったけど結局二人で抑えていて揺れがおさまり周りは騒然。
「みなさん大丈夫ですか~?」どこからともなく声があがって周りを見渡せば机の配置とはぐちゃぐちゃだし何があったのかよくわからないうちにまた揺れが来て自分は再びコピー機を押えていたがはっきりいってこのままビルが倒壊してしまうような恐怖を感じつつも今の自分にできることは押えていることと危ない動きを仕手言う人に対して叫ぶことだけ。
こんどこそ揺れが収まってみんなで無事を確認しあっていたら夏にも起きた水漏れが再発しかも今度はあちこちから漏れている。これはただごとではないとポケットに入れてあったiポッドもどきをラジオの外部スピーカーに切り替えみんなに少しでも情報を聞いて貰いながら慌ててパソコンとかを逃がしたりしている間も再び揺れが来る。余りの恐怖の後継に
「ひとまず安全な所に避難しましょう」
という声にみんな賛成して最小限のとじまりだけをして会社を離れたがこの揺れに水漏れは思わずこれが総員退艦なのかもしれないと思えた。
会社を離れ全員で歩いて荒川の土手に避難。みんな口数は少なかったけど外をみればうちの会社だけがこんなに揺れたの?という感じがしてきたのもあってわりと穏やかだったな。結局土手でどのくらい居たかな?落ち着いたと感じてひとまず会社に戻ることになり自分は途中ではぐれたひとたちがいる場所に急いで自転車を走らせその人達を見つけて一旦会社に集合という内容を伝えることに。こんなときに回線がパンクして使えないのはわかっているがそれでも必死の抵抗でせめて実家にだけでも電話しようとするも回線が使えないからメールで無事を連絡。早くとどけばいいが。
会社に戻ってみれば設備の人が水漏れした配管はあちこち破断してしまっているためバルブの閉鎖作業を進めていたがこの余震が起きる中でも動じないのはさすがだなと思った。結局、休憩室のテレビをみて改めて今回の地震の大きさに驚愕。そしてそこからが今度は今日の業務は一部の役職の人のみは今後の対策のために残るとしてあとは帰っていいということだが電車は全て止まっているために結論からすれば帰れるはずもない。
そこでリストをいくつか用意して徒歩・自転車など完全自力で帰れる人・車通勤の人と書いていって自分は前者だからこれで帰って言いと言うことに。車通勤の人は同じ方面の人を乗せていっていくことにしてさらに会社の車も一部月曜日にもってくればいいということで貸し出すことに。最初、直ぐに家に戻ってプリを取ってきて提案したがそこまでしなくていいと言われさらに、これからどうなるかわからないから確実に帰れるのだからすぐに帰れといわれて他の人も順次出発しているから自分も帰ることに。
帰りは。極端にいえばいつもと変わらない自転車での道中だったけど今日ほど会社の割と近くに住んでいて自転車という災害時にある意味最強の乗り物をつかっていて良かったと思ったことはなかった。すでに荒川大橋からは多数のひとが家路に向かって黙々と歩き、信号サイクルの悪さも手伝って道路は渋滞。そういえばさっきからメールがいくつかきて友だちからは無事の知らせが。自分も帰しているが肝心の家からは不在着信履歴通知のみ。やっと川口をすぎ鳩ヶ谷に差し掛かる辺りで実家に連絡がとれて一安心したし落ち着いた。
家に帰ってからはもちろんテレビ、次から次へと衝撃的な画像が流れるからそれに釘付け。本来なら金曜日だからお酒でも飲みながらのはずがそんな気にもなれなくて簡単に夕食を作り、お風呂にも落ち着いて入れるような気分でないからシャワーで済まし、テレビというかパソコンは何かあったときに直ぐにニュースがみられるようにつけたままにして、さらに枕元に財布・携帯・受信機を置いておくことに。
夜中の何時かは覚えてないが、明日、仙台に行こうと行っていた友だちが最初、自分だけ前泊するような事を言っていて心配だったがようやく電話が通じて幸い自宅の最寄り駅の手前1キロも無いところで止まったからそのまま徒歩で駅に誘導されたからそんな問題なく帰れたということ。そして二人でこれがあと1日ずれていたらと思うと想像するだけで恐ろしいと話したが本当に世の中、何があるかわからないな。
結局、余震と気持ちがたかぶって眠れないから横になってテレビを見てちょっとウトウトするようにしてようやく長い一日が終了。明日からさらなる厳しい道がまっているのか。
このところ地震が続いていたから最初は揺れている程度に感じたが少したってから揺れが大きくなり女性の悲鳴が聞こえ、そこからは大変。机の物が転げ落ちていくしその机が滑るように動く。これは大地震だと思いとっさに
「窓側の人ガラスに気をつけて」・「キャビネット近くの人、倒れるかもしれないから気をつけて」
と叫んで周りをみれば、お局様が床をかけずり回るかも知れないコピー機を押えているがあんな華奢な体では支えきれないからとっさにそこに向かって自分が押えて変りに逃げるように言ったけど結局二人で抑えていて揺れがおさまり周りは騒然。
「みなさん大丈夫ですか~?」どこからともなく声があがって周りを見渡せば机の配置とはぐちゃぐちゃだし何があったのかよくわからないうちにまた揺れが来て自分は再びコピー機を押えていたがはっきりいってこのままビルが倒壊してしまうような恐怖を感じつつも今の自分にできることは押えていることと危ない動きを仕手言う人に対して叫ぶことだけ。
こんどこそ揺れが収まってみんなで無事を確認しあっていたら夏にも起きた水漏れが再発しかも今度はあちこちから漏れている。これはただごとではないとポケットに入れてあったiポッドもどきをラジオの外部スピーカーに切り替えみんなに少しでも情報を聞いて貰いながら慌ててパソコンとかを逃がしたりしている間も再び揺れが来る。余りの恐怖の後継に
「ひとまず安全な所に避難しましょう」
という声にみんな賛成して最小限のとじまりだけをして会社を離れたがこの揺れに水漏れは思わずこれが総員退艦なのかもしれないと思えた。
会社を離れ全員で歩いて荒川の土手に避難。みんな口数は少なかったけど外をみればうちの会社だけがこんなに揺れたの?という感じがしてきたのもあってわりと穏やかだったな。結局土手でどのくらい居たかな?落ち着いたと感じてひとまず会社に戻ることになり自分は途中ではぐれたひとたちがいる場所に急いで自転車を走らせその人達を見つけて一旦会社に集合という内容を伝えることに。こんなときに回線がパンクして使えないのはわかっているがそれでも必死の抵抗でせめて実家にだけでも電話しようとするも回線が使えないからメールで無事を連絡。早くとどけばいいが。
会社に戻ってみれば設備の人が水漏れした配管はあちこち破断してしまっているためバルブの閉鎖作業を進めていたがこの余震が起きる中でも動じないのはさすがだなと思った。結局、休憩室のテレビをみて改めて今回の地震の大きさに驚愕。そしてそこからが今度は今日の業務は一部の役職の人のみは今後の対策のために残るとしてあとは帰っていいということだが電車は全て止まっているために結論からすれば帰れるはずもない。
そこでリストをいくつか用意して徒歩・自転車など完全自力で帰れる人・車通勤の人と書いていって自分は前者だからこれで帰って言いと言うことに。車通勤の人は同じ方面の人を乗せていっていくことにしてさらに会社の車も一部月曜日にもってくればいいということで貸し出すことに。最初、直ぐに家に戻ってプリを取ってきて提案したがそこまでしなくていいと言われさらに、これからどうなるかわからないから確実に帰れるのだからすぐに帰れといわれて他の人も順次出発しているから自分も帰ることに。
帰りは。極端にいえばいつもと変わらない自転車での道中だったけど今日ほど会社の割と近くに住んでいて自転車という災害時にある意味最強の乗り物をつかっていて良かったと思ったことはなかった。すでに荒川大橋からは多数のひとが家路に向かって黙々と歩き、信号サイクルの悪さも手伝って道路は渋滞。そういえばさっきからメールがいくつかきて友だちからは無事の知らせが。自分も帰しているが肝心の家からは不在着信履歴通知のみ。やっと川口をすぎ鳩ヶ谷に差し掛かる辺りで実家に連絡がとれて一安心したし落ち着いた。
家に帰ってからはもちろんテレビ、次から次へと衝撃的な画像が流れるからそれに釘付け。本来なら金曜日だからお酒でも飲みながらのはずがそんな気にもなれなくて簡単に夕食を作り、お風呂にも落ち着いて入れるような気分でないからシャワーで済まし、テレビというかパソコンは何かあったときに直ぐにニュースがみられるようにつけたままにして、さらに枕元に財布・携帯・受信機を置いておくことに。
夜中の何時かは覚えてないが、明日、仙台に行こうと行っていた友だちが最初、自分だけ前泊するような事を言っていて心配だったがようやく電話が通じて幸い自宅の最寄り駅の手前1キロも無いところで止まったからそのまま徒歩で駅に誘導されたからそんな問題なく帰れたということ。そして二人でこれがあと1日ずれていたらと思うと想像するだけで恐ろしいと話したが本当に世の中、何があるかわからないな。
結局、余震と気持ちがたかぶって眠れないから横になってテレビを見てちょっとウトウトするようにしてようやく長い一日が終了。明日からさらなる厳しい道がまっているのか。
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