1000よありがとう~高松に向けてのエール~
2010年6月29日 鉄道・鉄道模型
(更新が)遅ればせながら自分なりに1000形とその頃の京急に関連するエピソードを書き綴ってみたけどやっぱり一番身近にいて親しみのある車両だったな。乗る回数もダントツで多かったしハンドルを握って運転(実物のハンドルで模型を動かす)もやったし。
そういえば、白幕車には低速域のブレーキを弱めるB55という装置が付いていて常用最大で止まっても今の車両のB1よりちょっと強いくらいの衝動で済んだからそうやっていた人もいたが中には止まったことを感じさせないくらい滑らかなブレーキのかけ方をする人もいたしレバーサーを動かしてB55を切るということもしていた。あと、今でも頭に焼き付いているのが上りの文庫-上大岡。文庫をでて80キロでノッチオフ。能見台の手前で制限90→解除、富岡が制限100その先のトンネルが85キロで杉田に向けての下り込みが制限100でホームにさしかかったところからノッチを入れて屏風ヶ浦で制限80その後はトンネルで65、制限を抜けて上大岡への下り込みでまた加速して上大岡に滑り込んでいく。加速の時、高速域になればなるほどノッチを入れてから反応するまでのタイムラグが大きくて制限を縫うように走るこの区間では制限の途中からノッチを入れて惰行で落ちた速度を取り戻すのが制限解除の位置になるようにタイミングを合わせてそしてブレーキもタイムラグがあるからそれに合わせる。それを完璧に決める運転手はなんだかすごいと思ったな。
1000形の最終編成と同じ年に生まれ、356両が京急・京成・都営を縦横無尽に走り回った全盛期を横須賀で過ごしそして1000の引退と同じ時期に自分も京急から離れることになるという運命的は偶然というか必然という形になったけどこういう形じゃなかったらどういう形で引退を見送っていたかな?ただマリンパーク号以外のヘッドマークや特別列車は似合わないというのが自分の率直な1000に対する見方。だからこういう形でよかったのかも。そして、まだ1000形の歴史は完全に終わったわけではない。356両全ての行く末はまだ決まっていないしなによりも四国・高松で先輩の600・後輩というか兄弟分の700と共に1080形、1300形として活躍している。それが引退するまではまだまだ歴史は続いていく。単一形式としての製造両数はクハ・モハ・サハの区別のある東武8000をも超え未だに破られることのない金字塔を打ち立て、2両単位で編成が組める自由さから頻繁な組み替えで編成需要を満たし、120キロ運転こそブレーキ面からできないが十分な性能を持っているからこそ長年にわたって使い続けられたと思うし何よりも安全面での装備が充実してきたということもあって大きな事故もなくそれによる廃車も無く半世紀に及ぶ京急での営業運転を終えるというのは並大抵のことじゃなかったと思う。
ひとまず1000は引退するがyoutubeで見たさよなら運転で京急久里浜に到着する前の車掌のアナウンスにあった
「これから皆様の胸の中で元気に走り続けるのでないでしょうか。」
この一言に尽きると思う。また四国で再開できることを楽しみにしたいし、最終車両の中から新たな譲渡・保存車が出ることを切に願いたい。ありがとう1000形よ
そういえば、白幕車には低速域のブレーキを弱めるB55という装置が付いていて常用最大で止まっても今の車両のB1よりちょっと強いくらいの衝動で済んだからそうやっていた人もいたが中には止まったことを感じさせないくらい滑らかなブレーキのかけ方をする人もいたしレバーサーを動かしてB55を切るということもしていた。あと、今でも頭に焼き付いているのが上りの文庫-上大岡。文庫をでて80キロでノッチオフ。能見台の手前で制限90→解除、富岡が制限100その先のトンネルが85キロで杉田に向けての下り込みが制限100でホームにさしかかったところからノッチを入れて屏風ヶ浦で制限80その後はトンネルで65、制限を抜けて上大岡への下り込みでまた加速して上大岡に滑り込んでいく。加速の時、高速域になればなるほどノッチを入れてから反応するまでのタイムラグが大きくて制限を縫うように走るこの区間では制限の途中からノッチを入れて惰行で落ちた速度を取り戻すのが制限解除の位置になるようにタイミングを合わせてそしてブレーキもタイムラグがあるからそれに合わせる。それを完璧に決める運転手はなんだかすごいと思ったな。
1000形の最終編成と同じ年に生まれ、356両が京急・京成・都営を縦横無尽に走り回った全盛期を横須賀で過ごしそして1000の引退と同じ時期に自分も京急から離れることになるという運命的は偶然というか必然という形になったけどこういう形じゃなかったらどういう形で引退を見送っていたかな?ただマリンパーク号以外のヘッドマークや特別列車は似合わないというのが自分の率直な1000に対する見方。だからこういう形でよかったのかも。そして、まだ1000形の歴史は完全に終わったわけではない。356両全ての行く末はまだ決まっていないしなによりも四国・高松で先輩の600・後輩というか兄弟分の700と共に1080形、1300形として活躍している。それが引退するまではまだまだ歴史は続いていく。単一形式としての製造両数はクハ・モハ・サハの区別のある東武8000をも超え未だに破られることのない金字塔を打ち立て、2両単位で編成が組める自由さから頻繁な組み替えで編成需要を満たし、120キロ運転こそブレーキ面からできないが十分な性能を持っているからこそ長年にわたって使い続けられたと思うし何よりも安全面での装備が充実してきたということもあって大きな事故もなくそれによる廃車も無く半世紀に及ぶ京急での営業運転を終えるというのは並大抵のことじゃなかったと思う。
ひとまず1000は引退するがyoutubeで見たさよなら運転で京急久里浜に到着する前の車掌のアナウンスにあった
「これから皆様の胸の中で元気に走り続けるのでないでしょうか。」
この一言に尽きると思う。また四国で再開できることを楽しみにしたいし、最終車両の中から新たな譲渡・保存車が出ることを切に願いたい。ありがとう1000形よ
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