福岡の消えゆく鉄路を追いかけ
博多についてからはすぐに地下鉄に乗り換えたら来たのは103系。地下で103系に乗るとなんだか昔、東西線で通勤していたときにやたらJR車があたっていた頃を思い出すなと思いながら乗ってさらに乗り換えて貝塚に到着。

ここからは今日のハイライトととなる西鉄宮地岳線の乗車。今考えると2006年は廃線となる路線を乗り歩く時間との戦いにあけくれた部分もあったな。急行みよしも廃止の話は聞かないが安泰ではないし、鹿島鉄道に神岡鉄道、去年は能登鉄道に名鉄の600V区間にも乗ったし来年もこんなことやっているのかもしれないなと思いながら乗車。

ガラガラなのをいいことに先頭部を陣取って発車まで撮影してそして走り出してみればどこかで聞いたことのあるモーター音。低速時にウォーンと甲高い唸りをあげるといえば京急1000形しかもこの唸りの甲高さと回数はOK台車。製造銘板をみれば昭和38年川崎重工だから年式も一致している。後々調べたらモーターがやはり東洋電機製。おかげでなんだか初めてなのに乗り慣れた感じがしてくる。

路線は廃止するの?と思いたくなるような立派な高架を走行。ただ駅間距離が短いのと3両編成しか止まれないホームが何とも言えない。そんな風景が西鉄香椎を出るあたりまで続く。しかも、15分に1本と割合本数が多いのに単線だから交換待ちが多くてとなればやることは当然交換待ちでの撮影。おかげで終点の津屋崎まで数コマを確保することに成功。さらに距離を確保するために超望遠レンズも使ったしやっぱり横須賀から持ってきた甲斐があったな。

しかし、そんな近代的な高架をすぎれば郊外の路線に早変わり。元から少なかった乗客がさらに減り存続され廃止になる西鉄新宮あたりからは景色もだんだんと住宅地なのはわかるがマンションとかもみかけなくなり、郊外のローカル線という感じとなり防風林らしき木が大量に植えてある横を走ったり時には、遊園地の横を抜けたり、JRとの交差のために急勾配で立体交差させたりとローカル色も増していき住宅の密度も下がって駅間も気持ち長くなって、のどかな風景のなかを走って終点の津屋崎に到着。

そのまま西鉄香椎まで戻ってJRに乗り換えたが、本当に残す区間はここまでやったのだから残って欲しいし、過去に流星が乗った廃止路線でも名鉄の岐阜市内線の端とか日立電鉄よりもあきらかに民家も多く使う人が多そうな感じがしただけに惜しい感じもしたな。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索