いったい、どれだけの犠牲を払えば彼らは学習するのだろうか?

そんなことを思ったのは、今から10年くらい前、ちょうどその頃いじめが社会問題になっていて毎週いや下手すると毎日のようにどこかで自分と同世代くらいの人が自殺していたというおそろしい時があってその頃は流星も高校生だったということもあるし、学校になじめないどころかいじめもあって自分も苦しんできたからとてもじゃないけど人ごとのようには思えなかった。

人が集まるところには必ずいじめとかという形だけでなくて対人関係の摩擦はは自ずと起きてしまうのはやむを得ない。だからといって一人の少女が思い詰めて自らの手で命を絶つ意外に解決策はなかったの?そして友人とかに「死にたい」とかという形で彼女なりのSOSを送っていたのに誰も気が付いて救いの手を差し伸べてあげられなかったの?しかも3年間も耐えていたということはそれだけ気が付く時間はあったんだよ。

そして何よりも許せないのが教育委員の連中。昔にもいじめの存在を認めないろくでなしはたくさんいたけど、彼女は自分が思うに死にたいというメッセージを送り続けた上に7通も遺書を書いてしかも首吊りという確実な方法を選ぶことで生きることを放棄していてその中にもいじめがあったことを書いていたのに言い訳して、大臣と2000人の人とマスコミの一斉砲撃が動かしてやっといじめの存在を認めている。真相の解明と再発防止策の方よりも、いじめを認めることによって発生するであろう損害賠償や自分たちの地位の方が大切なわけ?だからいつまで経っても悲劇はなくならないんだよ。

こいつらにはきっとこの少女の苦しみは一生わからないだろうな。いじめは暴力とか目に見える形のものでも、悪口とか差別とかでも心に負うダメージは同じでさらに年齢が低くなればなるほど世間に対する視野は狭いから学校だけでも苦痛の場になってしまえば自分が生きている場所全てが苦痛で絶望の世界に思えてくるし、心の傷を受け続けているとダメージを受け止める余裕というか衝撃を和らげる部分がなくなって大人からすれば「何で?」というような状況でも深刻なダメージになるのだからなおさらわからないだろうし、解る気もないだろうな。

本当に見ていて腹が立つと言うよりも悲しくなってきた。まだこんな事が繰り返されるのか、いったいどれだけの人の命を奪えば学校は変わるのだろう。そして、学校や教育委員達が火消しに躍起になって仮に事実を隠蔽できたとしても、おそらくクラスメートなり同級生も傷つくしもしかしたら人生の汚点として一生しょっていく運命になるかもしれないことを考えて欲しい。

最後に今度こそこれが最後の犠牲者であってほしいと願うとともに、亡くなられた少女のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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